PRIDE回顧録~PRIDE19~
2012年 05月 04日
PRIDE.19(2002年2月24日 さいたまスーパーアリーナ)
2002年の第一弾大会となったこの大会、最大の話題は何といってもメインのミドル級タイトルマッチに挑戦者として抜擢された田村潔司。前年のRINGS離脱以降その去就が注目されていた田村だったが、PRIDEに電撃参戦。しかも初戦でいきなりタイトルマッチに挑戦という待遇に高田が「桜庭の貯金をいきなり下ろしに来るようなものだ」と噛みつくなど、Uインター時代の因縁と相まって試合前から大きな話題を振りまく。
これまでは他団体で実績を残した選手がPRIDEに出る場合、どうしても「PRIDEの世界観の中に取り込まれる」という意味合いが強かったのだが、そうはさせなかったのも田村の凄いところ。煽りVの中では「PRIDEはヒザを入れたり顔面から血を流したり、残酷。そういうのを見て喜んでいるお客さんも馬鹿だと思う」とPRIDEを真っ向から否定する発言をしてのけた。PRIDEの世界に呑みこまれるのではなく、自らの信条を全面に出し続けながらPRIDEに乗り込む。いわば「思想闘争」の要素をPRIDEに持ち込んでみせたのがこの時の田村だったのだと思う。
当時ちょうど仕事が忙しい時期で土日出勤が常態化しており、この大会は残念ながらPPVを録画しての観戦だったのだが、煽りVから田村の入場に至るまでの異様なムードは画面からも伝わってきた。この時期は家に帰るとメインの煽りVと田村の入場シーンを繰り返し見るのが日課になっていて(何やってんだか)、「さいたまスーパーアリーナに渦巻く、この空気は何だ!果てしない願い、果てしない期待。全格闘技ファンが待ち望んだあの男が、遂にPRIDEのリングにやってきます」という実況の台詞をいまだにそらんじることができる。個人的にPRIDEの歴代名場面を選ぶとしたら、絶対外せないシーンだと思う。
とまあ試合前から入場までは完璧だった田村なのだが、いざ試合が始まるとやはりシウバとの実力差は如何ともしがたく、序盤から打撃で押され続け劣勢に。最後はシウバの右ストレートでマットに沈み、あえなく人食い王者の餌食となった。とはいえこの後も田村は、勝敗を超越したレベルでPRIDEのキーパーソンとして存在感を発揮し続けることになる。
セミではノゲイラにエンセン井上がノンタイトルマッチで挑むものの、ノゲイラの寝技の前に完敗。エンセンはこの直前に暴行事件で有罪判決を受けていたのだが、そういう選手が地上波で中継される試合に出れちゃうあたり、コンプライアンス的に緩い対応が許されるギリギリの時代だったのかな、という気もする。
これ以外の主な見どころは
・ドン・フライとケン・シャムロックが因縁の対決。我慢比べの激闘の末フライが勝利。
・ヒーリング対ボブチャンチンの強豪外国人対決はヒーリングが勝利。ボブチャンチンはこの時期、トップグループから徐々に脱落し始める。
・裏メインともいうべきカーロス・ニュートンvsペレは、ニュートンが腕十字で一本勝ち。
といったところ。
田村の敗北によりいよいよ手がつけられなくなってきたシウバだが、この次の大会ではK-1から放たれた最大の外敵、ミルコ・クロコップを迎え撃つことになる。
次回の掲載は…まあ気長にお待ちください。人気ブログランキングへ