PRIDE回顧録~PRIDE.12~
2010年 09月 11日
後に「聖地」として定着することになるたまアリを初めて使用した記念すべき大会。なのだが当時は別の用事が重なってしまい地上波観戦(年明けの夜中に放送したんだっけ)。
メインでは桜庭がグレイシー狩り第4弾としてハイアンと対戦、見事対グレイシー4連勝に成功するわけだが、ハイアンが試合前のスパーで怪我をしたため、1R10分という特別ルールによる対戦、というやや中途半端な結末に。当時知人が「じゃあスパーでハイアンに怪我させた奴が桜庭と対戦すればいいじゃん」と言っていた。
これ以外には藤田がギルバート・アイブルに完勝、ボブチャンチンがケアーを破り外国人エースの座を確かなものにし、ヴァンダレイ・シウバはKOK王者として参戦したダンヘンに勝利しいよいよ要注意の存在に、といったように試合結果としてはこの後のPRIDEの展開にも深く係わってくるものが多かった今大会。
とはいえ「当たり興行」だったかというと少々あやしいところで、9試合中7試合が判定決着という、会場で見ていたお客さんにとっては少々しんどかったであろう内容に。これが年明けの危なっかしいルール改正につながってしまうわけだが。
この年に大ブレイクしたPRIDEは、日本人エースの桜庭が「ヒール」であるグレイシー一族を破り続けるという、ある種プロレス色の強い予定調和的(これはあくまで結果論で、毎回メインイベンターとして結果を出し続けてきた桜庭は本当に凄いと思う)なスタイルで人気を確立していったわけだが、2000年を締めくくるこの興行もその路線に合致した内容だったと言える。
年明け早々、PRIDEは大ブレイクを支えてきた「予定調和的結末」とは間逆の事態に見舞われ、これにより新しい価値観を提示していくことになる。