反り立つ壁に撃沈。


by nugueira
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カテゴリ:PRIDE( 160 )

 ケビン・ランデルマンが肺炎に伴う心臓発作でこの世を去った。

 何年か前にも病気で生死の境をさまよったというニュースを見た記憶があり、そのせいか訃報を見た瞬間、一瞬息が止まりつつも心のどこかで「やはりこの日が来たか」という思いが胸をよぎった。とはいえ、享年44歳。これからやるべきこと、できたことはいくらでもあったはずで、旅立ってしまうにはあまりに早い。

 ランデルマンの記憶、と聞かれて100人が100人声を揃えて第一に挙げるのは、PRIDEヘビー級GPでのミルコ戦だろう。当時会場で見ていたが、「こんな番狂わせがあり得るのか」と正真正銘言葉を失った。
 続く2回戦ではヒョードルに敗れはしたものの、MMAの試合ではおよそ見たことのない急角度バックドロップを披露。これ以降は負けの込む時期が続いたが、2004年のPRIDEを語るうえで欠かすことのできない存在であることは間違いない。(昨日の山本優弥の記事と同様、これが10年以上前のブログを立ち上げていない時期の出来事、という事実に時の流れを感じてしまうが。)

 自分の試合に対して「作品」という言葉を好んで使っていたのは五味だったと思うが、この表現を借りれば、ランデルマンの魂は天国へ行こうとも、彼の残したミルコ戦、ヒョードル戦という作品は、格闘技というジャンルが存在し、格闘技ファンという人種がいる限り、人々の記憶の中に生き続ける。

 リアル・ドンキーコングよ、さらば。安らかに眠れ。
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by nugueira | 2016-02-12 23:54 | PRIDE | Comments(2)
 これ、本当に偶然知ったんですが。自民党会議情報の4月23日のところ。

 https://www.jimin.jp/activity/conference/weekly.html

 ◆政調、クールジャパン戦略推進特命委員会
  議題:格闘技ビジネス(日本発総合格闘技〔MMA〕)の海外展開について関係者からヒアリング
   講師)榊原 信行 株式会社うぼん代表取締役(元PRIDEプロデューサー)


 いやいやいや。ありえない。絶対おかしい。ていうか2015年になってこんな議題でこんな人を呼んでる時点で、自民党の「クールジャパン」に対する感覚がどれだけピント外れかを高らかに宣言してるようなもんですよ。いやー、この辺に巨大与党の驕りが出てしまったか。

 まあ実際問題、この会議の場で

 「そうは言ってもストライクフォースも買収されちゃったし、パンクラスの試合映像をUFC Fight Passで流す時代なんだよ?!今さら割り込む隙間はないだろう!」

 という的確なツッコミを入れられる議員がいるとしたら、その人は次の選挙を心配しておいた方がいい。世間的には「そういえば格闘技って最近テレビで見かけなくなったよね」というぐらいの認識で、ビジネス面でアメリカと絶望的な差が開いてしまったことを把握しているのは格闘技マニアぐらいなんだろうなあ。

 それにしても榊原さんがこの会議でどういうプレゼンをしたのかが非常に気になる。「格闘技は日本発のコンテンツとして競争力が見込める分野です!」とか上手いこと言って、会議終了後に議員先生と名刺交換とかしちゃってるんだろうか。どうにかして会議の中身を知る手段はないものだろうか。

 どうせなら木谷オーナーを講師に呼べばいいのに。人気ブログランキングへ
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by nugueira | 2015-04-24 23:08 | PRIDE | Comments(2)
 2010年に不定期連載企画として開始以降、年に1~2度思いだしたように続けているPRIDE回顧録。久しぶりに更新を。(過去の回顧録はカテゴリ「PRIDE」をご覧ください。)

PRIDE.22(2002.9.29 名古屋レインボーホール)

 この年は8月にK-1・PRIDE共催による「Dynamite!!」が国立競技場で行われ(これはこれで思い出深いが、PRIDE単独興業ではないので本企画の対象外。)、11月には東京ドーム大会を控えているという状況での名古屋大会。当然ながらというべきか、出場選手のグレードは露骨に落とされた典型的な「谷間興業」になった。さすがにこれを見に名古屋まで足を運ぶ気にはならずPPV観戦(しかもライブでなく録画で見てた気がする。)。

 今大会のメインを飾ったのは大山峻護vsハイアン・グレイシーという「これぞ谷間興業!」とでもいうべきカード。まあ6月のPRIDE.21で大山が(ひどい内容での判定ながら)ヘンゾを破っておりそれなりの遺恨はあったわけだが、始まってみればハイアンが開始早々に腕十字を極め大山を脱臼骨折に追い込むという身もふたもない展開に。当時スカパーの配信ミスか何かでメインの前に映像が終わってしまったのだが、PPV料金が返還されると聞いて「大山の骨折を見るために2000円は払えないよ」という結論に達したのはいい思い出である。

 一方でセミファイナルではクイントン・ランペイジ・ジャクソンが格上と見られていたボブチャンチンをスラムで投げ続け圧倒。1ラウンドTKO勝利というアップセットを演じてみせた。来日当初は完全なイロモノキャラ扱いだったランペイジだが、この辺りから実力でその存在感を増していくことになる。(なおこの試合後のインタビューでランペイジは「K-1GP開幕戦に出る」と明言していたのだが、どういう経緯か実現はしなかった。)

 とはいえ大会全体を通じても見どころと言えたのはこのぐらいで、マリオ・スペーヒーvsアンドレイ・コピイロフのロシアvsブラジル重鎮対決はコピイロフの負傷ドクターストップという消化不良の決着。メインの大山を含め日本人選手5人が全敗(この中にはアンデウソン・シウバvsアレクサンダー大塚というカードもあったりするのだが)という結果に終わり、「手抜きカードからはそれ相応の熱しか生まれない」という興業の鉄則を実証するような大会になってしまった。

 この大会のメイン前に高田延彦がリング上で次回大会でのラストファイトを表明。PRIDEは一つの時代の区切りを迎えることになる。

 次回はまた気の向いたときに・・・。人気ブログランキングへ
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by nugueira | 2014-05-21 23:35 | PRIDE | Comments(3)
 長期中断していた不定期連載、思い出したように久々に執筆。これまでの回顧録はカテゴリー「PRIDE」をご参照ください。

 PRIDE.21(2002年6月23日 さいたまスーパーアリーナ)

 この大会のメインは言わずと知れたPRIDE史上に残る名勝負、ドン・フライvs高山善廣。もともとはドン・フライvsマーク・コールマンがメインに組まれていたのだが、大会直前にコールマンが練習中の負傷により欠場。高山が緊急オファーを受けてのメイン抜擢となった。
 直前のメインカード変更に加えて、この日はセミまで判定決着が多くいまいち盛り上がりに欠ける内容。正直やや微妙な空気の中でメインを迎えたのだが、両者がこの空気を一気に振り払う超弩級の勝負を繰り広げてみせる。開始と同時に真正面からぶつかり合った二人は、そのままお互いノーガードで首をつかみながらの殴り合い。体勢を入れ替えながら続いたノンストップの打撃戦は、最後はフライがマウントパンチを連打し決着。
 この試合はPRIDEの歴史を3分にまとめるとしたら絶対入ってくる名場面なわけだが、当時の自分の感想としては「これで盛り上がっちゃっていいのかなあ・・・」という気持ちも多少あった、というのが正直なところ。当時のPRIDEは桜庭の長期欠場を一つのきっかけに「世界最強路線」への切り替えが着実に進んでいた時期だったと思うのだが、精神論を前面に押し出し過ぎたこの試合はそういう流れに水を差しちゃうんじゃないか、というのがその理由。とはいえ当時自分も客席で絶叫していたし、UFCのダンヘンvsショーグンも流れとしてはこれと同じ系譜に属する。やっぱり格闘技ファンはこういう「魂のぶつかり合い」を好んじゃう部分が絶対に存在するし、そのニーズに応えて見せた両者のフライと高山のプロ意識がずば抜けていた、ということなんだろうけど。
 ちなみに当時の高山は藤田・シュルトに連敗し、PRIDE内での位置づけが微妙になりつつあった状態。この試合で評価を上げた高山はこれ以降プロレスの方でも存在感を増し、さらに大晦日のメインでボブ・サップの相手を務めることになるわけで、この一戦は結果として大会を救うだけでなく高山にとっても起死回生の一手となった。

 この大会のもう一つのトピックはエメリヤーエンコ・ヒョードルの初参戦。RINGS崩壊によりPRIDEへの登場が待ち望まれていたヒョードルだが、満を持しての参戦にRINGS時代を知るファンは大興奮。デビュー戦の相手は当時3連勝中でヘビー級タイトル挑戦の最有力候補だったセーム・シュルトだったが、試合はヒョードルが圧倒。序盤から難なくテイクダウンを繰り返しシュルトにチャンスを作らせず、判定で完勝した。KO・一本ではなかったためインパクトとしては不十分だったが、ご存じのとおりこの後ヒョードルはPRIDEのリングで「60億分の1」の称号を確立していくことになる。

 また「絶対王者」という括りでは、当時修斗ミドル級王者だったアンデウソン・シウバもこの大会でPRIDE初参戦。アレックス・スティーブリンクを1ラウンドTKOに下したものの、額カットによるレフェリーストップということもありあまりインパクトは残せなかった。

 最後にもう1試合ピックアップさせてもらうと、この日の第1試合はボブ・サップvs田村潔司という異次元カード。「セントーンなど体重を活かした攻撃は禁止」というハンディキャップなのか何なのかよく分からないルールが設けられていたが、試合はサップがセントーンに頼ることなく11秒でTKO勝利。
 どうもこの時期「TVアニメで『タイガーマスク』を復活し、それと連動して田村がマスクマンとしてPRIDEで試合をする」という企画が動いていたようで、企画自体がポシャった末に組まれたのがこのカード・・・という経緯があった模様。後日何かの記事で「田村は『サップ戦はいい思い出になった』と言っていた」という話を見た覚えがあるので、田村もある程度割り切ってオファーを受けていたんだろうけど。

 また気が向いたら再開します。人気ブログランキングへ
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by nugueira | 2013-09-29 21:07 | PRIDE | Comments(3)
 不定期連載の企画。これまでの回顧録はカテゴリー「PRIDE」をご参照。

 PRIDE.20(2002年4月28日 横浜アリーナ)

 この大会のメインは「PRIDE対K-1」の対抗戦として行われたミルコ・クロコップvsヴァンダレイ・シウバ。確かK-1の大会終了後に石井館長が「我々は誰の挑戦でも受けて立ちます!PRIDE、かかって来い!」みたいなことをマイクアピールしてこの流れが出来上がったんだっけ。

 2月に田村を蹴散らし「絶対王者」としてのオーラを身にまといつつあったシウバと、前年にプロレスラー・ハンターとして一気に存在感を挙げたミルコの激突は言ってみればこの時点での切り札カード。対戦決定時はYahoo!ニュースでも流れたぐらいだった。2月の大会を仕事で逃したこともありこの大会は会場観戦する気満々だったのだが、チケットぴあに行ったらA席はおろかS席も即完売。泣く泣くPPV観戦に切り替えた。

 3分5R・判定決着なしというミルコvs高田戦と同様のルールで行われたこの試合は、本来1階級下のシウバ(といっても当日の体重はシウバの方が重かったけど)がスタンドでミルコと五分にわたりあう大熱戦。高いガードでミルコのハイを封じると、数度にわたってテイクダウンから上を取りパウンドを落としていく。膠着は即ブレイクがかかる特別ルールもあって決定打は奪えず試合はドロー決着となったが、PRIDEファンからすれば「シウバがPRIDEのリングを守った」という見方ができる納得の結末。

 ミルコも勝ちは逃したとはいえシウバに左ミドルを叩き込んでいき、試合後シウバの脇腹にはミルコの指一本一本の形が識別できる赤い跡がくっきりと残されていた。お互いのエースが持ち味を発揮し、商品価値を落とすことなく次のストーリーへとつなげていく。PRIDE・K-1両団体にとっても損のない、「対抗戦」としては文句のつけようのない結末だった、と言っていいと思う。この年の夏のDynamite!!開催へとつながっていく両団体の蜜月は、翌年このミルコの移籍によって一気に終わりを迎えてしまうわけだが。

 あとこの試合を振り返ると忘れられないのは、これによりシウバが「ヒール」から「エース」へ役割転換を果たしたという点。田村戦までは「誰がシウバを倒すか」というより「誰かにシウバを倒してほしい」というムードがファンの中にも根強かったと思うのだが、この試合では「PRIDEの代表」として外敵を迎え撃つ立場をシウバが担い、その仕事を完璧に果たしてみせた。対戦相手のミルコも2003年から翌年にかけてヒールからベビーフェースへの転向を果たした、というめぐり合わせも今になってみると面白い。

 メインはこうして大成功に終わったが、一方で割りを食ってしまったのがパンクラス。前回大会終了後にパンクラスの本格参戦が発表され、パンクラス側からは「近藤vsシウバ」「美濃輪vsミルコ」といった威勢のいい要望が飛び交ったものの、当のシウバとミルコが対戦したため両方とも実現せず(とはいえ2カードとも最終的には実現したわけだが)。結局この大会では菊田vsアレクサンダー大塚というえらい中途半端なカードが組まれ、完全にPRIDE対K-1の陰に隠れてしまう構図となった。

 これで菊田が快勝すればまた違ったのだろうが、終始グラウンドで優位に進めながらも一本は取れず判定勝利に終わってしまう。これに加えて試合前の契約体重を巡るイザコザ、試合後は噛みあわない両者のマイク合戦、さらに試合中の島田レフェリーにアレク側に肩入れする言動があったのではないか、などとにかく後味の悪さばかりが残る試合になってしまった。これが響いたのかどうかは分からないが、パンクラス勢のPRIDE参戦はこの後しばらく停滞することとなる。

 これ以外にはノゲイラ弟のPRIDE初参戦、ニンジャがスペーヒーを下しBTTとシュートボクセの抗争激化、といった出来事があったが、もう一つ忘れてはいけないのがこの日の第1試合に山本憲尚の対戦相手としてボブ・サップが登場していること。
 前年の猪木祭りの時期にWCWで同僚だったサム・グレコの引きでK-1入りしたサップはこれが日本リングデビュー戦。この時点では特に注目度が高かったわけではなく、個人的には「ああ、よくいるデカいだけで大して動けない外人ね。普通にやれば山本勝つんじゃない?」ぐらいにしか思っていなかったのだが、いざ始まってみるとサップがそのパワーで山本を圧倒、3分かからずにKO勝ちしてしまう。
 このわずか半年後にサップはノゲイラ・ホーストと激闘を繰り広げ、格闘技の枠を超えた一大ムーブメントを起こすことになるわけだが、この時はそんなことになるとは予想だにしていなかった。さらに言えば10年後の今、秒殺タップを生業に世界中を転戦していることになろうとは、夢にも思っていなかった。

 次回はヒョードル初登場。人気ブログランキングへ
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by nugueira | 2012-05-20 15:24 | PRIDE | Comments(5)
 一昨年から不定期連載していたPRIDE回顧録、1年以上途切れていたんですが思い出したように再開。過去の回顧録に興味のある方は「PRIDE」のカテゴリーをチェックしてみてください。

PRIDE.19(2002年2月24日 さいたまスーパーアリーナ)

 2002年の第一弾大会となったこの大会、最大の話題は何といってもメインのミドル級タイトルマッチに挑戦者として抜擢された田村潔司。前年のRINGS離脱以降その去就が注目されていた田村だったが、PRIDEに電撃参戦。しかも初戦でいきなりタイトルマッチに挑戦という待遇に高田が「桜庭の貯金をいきなり下ろしに来るようなものだ」と噛みつくなど、Uインター時代の因縁と相まって試合前から大きな話題を振りまく。

 これまでは他団体で実績を残した選手がPRIDEに出る場合、どうしても「PRIDEの世界観の中に取り込まれる」という意味合いが強かったのだが、そうはさせなかったのも田村の凄いところ。煽りVの中では「PRIDEはヒザを入れたり顔面から血を流したり、残酷。そういうのを見て喜んでいるお客さんも馬鹿だと思う」とPRIDEを真っ向から否定する発言をしてのけた。PRIDEの世界に呑みこまれるのではなく、自らの信条を全面に出し続けながらPRIDEに乗り込む。いわば「思想闘争」の要素をPRIDEに持ち込んでみせたのがこの時の田村だったのだと思う。

 当時ちょうど仕事が忙しい時期で土日出勤が常態化しており、この大会は残念ながらPPVを録画しての観戦だったのだが、煽りVから田村の入場に至るまでの異様なムードは画面からも伝わってきた。この時期は家に帰るとメインの煽りVと田村の入場シーンを繰り返し見るのが日課になっていて(何やってんだか)、「さいたまスーパーアリーナに渦巻く、この空気は何だ!果てしない願い、果てしない期待。全格闘技ファンが待ち望んだあの男が、遂にPRIDEのリングにやってきます」という実況の台詞をいまだにそらんじることができる。個人的にPRIDEの歴代名場面を選ぶとしたら、絶対外せないシーンだと思う。

 とまあ試合前から入場までは完璧だった田村なのだが、いざ試合が始まるとやはりシウバとの実力差は如何ともしがたく、序盤から打撃で押され続け劣勢に。最後はシウバの右ストレートでマットに沈み、あえなく人食い王者の餌食となった。とはいえこの後も田村は、勝敗を超越したレベルでPRIDEのキーパーソンとして存在感を発揮し続けることになる。

 セミではノゲイラにエンセン井上がノンタイトルマッチで挑むものの、ノゲイラの寝技の前に完敗。エンセンはこの直前に暴行事件で有罪判決を受けていたのだが、そういう選手が地上波で中継される試合に出れちゃうあたり、コンプライアンス的に緩い対応が許されるギリギリの時代だったのかな、という気もする。

 これ以外の主な見どころは
・ドン・フライとケン・シャムロックが因縁の対決。我慢比べの激闘の末フライが勝利。
・ヒーリング対ボブチャンチンの強豪外国人対決はヒーリングが勝利。ボブチャンチンはこの時期、トップグループから徐々に脱落し始める。
・裏メインともいうべきカーロス・ニュートンvsペレは、ニュートンが腕十字で一本勝ち。
 といったところ。

 田村の敗北によりいよいよ手がつけられなくなってきたシウバだが、この次の大会ではK-1から放たれた最大の外敵、ミルコ・クロコップを迎え撃つことになる。

 次回の掲載は…まあ気長にお待ちください。人気ブログランキングへ
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by nugueira | 2012-05-04 17:11 | PRIDE | Comments(0)
 ムリーロ・ニンジャが引退を発表、というニュースを目にした。

 まだ31歳とはいえ、格闘家としてのピークを相当前に過ぎてしまったことは最近の戦績からも明らかだったわけで、引退のタイミングとして間違いではないでしょう。PRIDE時代も終盤は負けが混んでいたものの、欠かせない名脇役として存在感を発揮していた選手。今後も選手とは違う形でのご活躍を願っています。

 で、このニュースを機に「一度でもPRIDEで試合をした選手」を「PRIDE戦士」と定義して、「最後の現役PRIDE戦士」になるのは誰なんだろう、ということについて考えてみた。

 かつてのヘビー級三強であったヒョードル、ミルコ、ノゲイラはいずれも現役生活の終わりが見えつつある状態。でもその一方で現在最前線で活躍している選手が、アリスター、ショーグン、ランペイジ、ダンヘン、ムサシ、アンデウソン、メレンデス、青木・・・と思いつくだけでも多数存在。やっぱり5年やそこらで解答が出る問題じゃないな、と途中で考えるのを止めた。

 格闘技の場合問題を余計に難しくしているのが、「本人さえやる気ならマイナー団体でいつまでも現役を続けられてしまう」という構造。何しろダン・スバーンが未だに現役で頑張っちゃってるぐらいだからね。

 通算100勝が目前だそうで。人気ブログランキングへ
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by nugueira | 2011-05-22 23:38 | PRIDE | Comments(0)
 前回久しぶりに連載再開したところ反応をいただいたので、今度はショートスパンで。

 PRIDE.18(2001年12月23日 マリンメッセ福岡)

 福岡初進出(たしか)となる大会だったが、桜庭は前戦の負傷で長期欠場が確定、さらに大晦日に猪木祭りが控えていたこともあり、正直何に軸を置くのかが見えにくい大会に。当時ノゲイラは猪木祭りに出場する気満々だった記憶があるが、結局実現せず。

 そんな中メインに起用されたのはセーム・シュルトvs高山善廣による巨人対決。「シュルトは手心加えて見せ場を作るという発想もないだろうし、高山きついだろうなあ」と思いながら見ていたが、案の定シュルトが3分そこそこで高山を殴り倒すという身も蓋もない結果に。
 何年か後の雑誌記事で高山本人のコメントか何かが紹介されていたが、この敗戦には本当にヘコんだらしい。もっとも翌年に高山はこの敗戦を払拭してお釣りが来る大仕事をするわけだけど。

 この他にミドル級チャンピオンとして登場したシウバがアレクサンダー大塚を一蹴したり、改めて振り返ると出ている面子・試合内容は決して悪くはないのだが、前述のとおり大晦日の方に話題を持っていかれたこともあり、興行全体としては中途半端な印象は拭えなかった形。

 そんな中で一人気を吐いた(?)のが山本宜久。ヤン・ザ・ジャイアント・ノルキヤを腕十字で破りPRIDE初勝利を上げると、試合後のマイクで
 「これから心機一転、頑張ります!」
と言いたかったところを
 「これからはイッキシンテン、頑張ります!」
 という空前のミス。これは「ヒクソン相手に善戦」と並ぶ山本の格闘家人生における代表的業績、と言ってしまって差し支えないだろう。

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by nugueira | 2011-03-26 23:01 | PRIDE | Comments(0)

PRIDE回顧録~PRIDE.17~

 連載企画と銘打ちながらだいぶ間隔の空いてしまったこの企画、久々の掲載です。

PRIDE.17(2001年11月13日 東京ドーム)

 PRIDE GP決勝大会以来となる東京ドーム興行。前座の見所をザッと振り返ると

・バトラーツの石川雄規がまさかの参戦を実現させるも、ランペイジに完敗。それでも当時見ていたときは「石川は負けっぷりがいい」と肯定的に捉えていたような記憶が。やはりある種の「牧歌的」雰囲気がまだ残っている時代だったということか。

・セーム・シュルトが佐竹を1ラウンドKOで難なく下しPRIDE2連勝。

・マリオ・スペーヒーがPRIDE初参戦。ノゲイラの台頭でやや影が薄くなっていたとはいえ外国人エースとしての地位を確立していたボブチャンチンに1ラウンド肩固めで圧勝。ちなみにこの試合のリングアナはなぜか立川談志。

 といったところなのだが、この興行の後半3試合は色々な意味で議論を呼んだり、PRIDEの転換期となった試合の連続。

 まず第7試合では高田延彦対ミルコ・クロコップの一戦が実現。
 この年の夏に開戦したK-1対猪木軍で藤田和之にまさかのヒザ蹴りKO勝利を収めたミルコに高田が対戦要求。高田はこの時期ほぼ実現ムードになっていたはずの小川直也戦をご破算にしてまでこの試合を選んだわけだが、いざ試合が始まると序盤に自らのローキックで足を痛めた高田がひたすら猪木・アリポジションを取り続け、時間切れ引き分けという世紀の大凡戦に。
 当時のファンとしては高田に大したパフォーマンスは期待できないだろうと思いつつも「総合素人のミルコは寝かせればどうにかなるはず」という読みに加え「プロレスラーの誇りにかけてミルコと戦う」という高田のムード作りに乗せられてしまい、試合開始時の空気は高田応援ムード一色。
 そんな中でこの凡戦を見せられたわけだから、いやー会場の空気は荒れた荒れた。PRIDEでプロレスラー幻想を破壊し続けてきた高田だが、ここでもまた悪い形での「大仕事」をやってのけてしまった。

 この大会でPRIDEが迎えた大きな転換点は、ヘビー級・ミドル級のベルトが新設されたこと。これまではGPが1回開催されたのみで「強さの序列はなんとなく見えていても、はっきり形になりにくい」「マッチメイクのストーリーが見えにくい」という難点があったが、タイトルマッチの新設により興行の軸が作りやすくなった。(もっとも、チャンピオンの試合が毎回タイトルマッチとはならないこと、GPの開催が定期化したことで、タイトルマッチの位置づけがぼやけてしまうという別の問題もこの後出てくるのだが。)

 セミではヘビー級タイトルマッチとしてアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ対ヒース・ヒーリングが激突。ノゲイラが序盤にヒザかどこかを痛めたせいもあり一本は取れなかったものの、終始グラウンドで圧倒し続け判定で完勝。名実ともにヘビー級エースとしての座を不動のものとした。

 そしてメインではミドル級タイトルマッチとして桜庭和志とヴァンダレイ・シウバの再戦が実現。前回の対戦のようにシウバのラッシュを食らわず、桜庭は何度かテイクダウンにも成功。途中ギロチンの体勢に入ったところをシウバにパワースラムのように叩きつけられる場面はあったものの、悪くないペースで進んでおりさあこれから・・・というところで、シウバのスラムにより桜庭が左肩を脱臼。1R終了時ドクターストップというまさかの結末で、シウバが桜庭を返り討ちにするとともに初代ミドル級王者となった。
 前回の試合が「出会い頭の打撃で負けた」という印象が強かったこともあり、再戦では桜庭が落ち着いてシウバにリベンジしてくれるだろう、というのが当時の一般的なファンの見方だったと思う。PRIDE側も大会の宣伝ポスターに「ヒーローは、2度負けない」というキャッチコピーを使って桜庭勝利という空気を煽っていたのだが、終わってみればファンや団体側の思惑があっさりと覆される結果に。
 以前も書いたように2000年のPRIDEはエース・桜庭の勝利という「予定調和」路線でブレイクの礎を築いてきたわけだが、2001年の初戦で桜庭がいきなりシウバに敗北。この日リベンジにも失敗したことで「予定調和」路線は完全に崩壊。今にして振り返れば、ベルトの創設により「強さを軸にした序列」を明確にしたことも相俟って、結果的にこの興行は後の「60億分の1」路線へとつながるターニングポイントとなったと言えるのでは。

 とはいえそういう「価値観の転換」にファンがついていけたかというと微妙なところで、メイン終了後の会場はまるで葬式のようなムードだった(完全に桜庭目線で見ていた自分が特にそう感じただけかもしれないが)。大会が終わってドームの外に出るとちょうど小降りの雨が降り始めていたのだが、「今の観客の気持ちが天気に反映されたんじゃないか」と思ったことをよく覚えている。
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by nugueira | 2011-03-24 23:15 | PRIDE | Comments(2)
 えらい久しぶりになってしまった連載企画。まあこの企画に頼らずとも記事がそこそこ埋まっているということで、喜ばしい状況ではあるんですが。

PRIDE.16(2001年9月24日 大阪城ホール)

 PRIDE.11の時に知人から「PRIDE見に行かないの?」と聞かれ「さすがに大阪まで行かないよ」と答えた、という話を以前書いたのだが、それから1年、PRIDEを見るために一路大阪へ。人間、転落するときはあっという間である(転落?)。

 とはいえこの大会のメインは、前回大会で組まれるはずだったノゲイラVSコールマン。そりゃ大阪まで行きたくもなりますよ。
 戦前の予想では「寝技に持ち込めばノゲイラ、スタンドではコールマン」という読みだったのだが、いざ試合が始まってみるとムエタイ技術に格段の向上を見せるノゲイラが、スタンドの攻防でもコールマンを圧倒。ノゲイラがハイキックを空振りして倒れたところにコールマンが覆いかぶさるものの、こうなったらなったでノゲイラの独壇場で(当時は「ノゲイラはわざと空振りして引き込んだのでは?」という声も上がってたっけ)、最後は三角絞めから腕十字を極めたところでコールマンがタップ。PRIDEvsリングスのGP王者対決を圧倒的な内容で制し、ノゲイラ時代の到来を確固たるものとした。

 このメインだけでも新幹線代を回収できるぐらいの満足度だったのだが、大会の見所がこれだけに収まらないのだから当時のPRIDEは凄かった。

 まずはこの年にリングス・ミドル級王者となったばかりのアローナ、当時無差別級キング・オブ・パンクラシストだったシュルトが揃って初参戦。実現しなかったものの当時修斗ミドル級王者だったアンデウソン・シウバもこの大会に参戦の噂があり、この時期はPRIDEの「他団体王者ごぼう抜き」路線が加速していた時期だった。
 アローナはメッツァーとの削り合いを制して判定勝利。シュルトは小路を一蹴し(当初ボブチャンチンと対戦予定だったのがケガで流れてしまい、同じく対戦予定のブラッド・コーラーが負傷した小路が代わりに相手をすることに。当時としてもかなり無茶のあるマッチメイクだった)、ともに初陣を飾った。

 さらにセミファイナルではドン・フライが久々に総合格闘技のリングに復帰。当時は9.11テロの直後だったこともあって星条旗を掲げたナショナリズム満点の空気で入場すると、試合の方はアイブルが度重なるロープつかみ等の反則を繰り返し、フライの反則勝ち。何か安っぽいプロレスの試合みたいな結末でいまいち乗れなかったのだが(私は今でもこの試合はアイブルが慣れないワークを押し付けられたのでは、と思っている)、フライはこの後もPRIDEで貴重なバイプレイヤーの役割を果たしていくことになる。

 これに加えて
・リングスを離脱した山本宜久がPRIDE初参戦。前田の入場テーマを借用するという暴挙に出るもわずか11秒でKO負け。
・シュートボクセの新たな刺客としてムリーロ・ニンジャが参戦。松井大二郎をKO。
 と、初参戦組を中心に本当に見所満載だったこの大会。熱狂のボルテージを高めながら、PRIDEは1年半振りの東京ドーム大会へとストーリーを紡いでいった。

 PRIDE.17は切ない記憶が。人気ブログランキングへ
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by nugueira | 2010-12-19 23:54 | PRIDE | Comments(2)