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by nugueira
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辰吉という生き方

 先日家に帰ってテレビを見たら、ちょうど『キミハブレイク』で辰吉の特集をやっており、そのまま見入ってしまった。

 辰吉の試合を見るのは本当に久しぶり。ひょっとすると薬師寺戦以来かも。
 あらかじめ結果は知った上で映像を見たが、自分の半分の年齢の選手相手に序盤からクリーンヒットをもらい続け、タオルを投入される辰吉の姿は、あまりに切なくて、痛々しくて、残酷だった。

 試合後も引退は口にせず、現役続行へのこだわりをかいま見せる辰吉の姿にファンは(おそらくは番組スタッフも)「辰吉には本人が納得行くまで戦ってほしい。その姿を見届けたい。」という思いを持っているのかもしれない。

 現役続行なんてとんでもない。個人的にはそう思っている。というより今回の辰吉の姿を見て、その思いを一層強くした。

 「格闘技ファンという存在は、結局は奴隷同士の殺し合いを見て騒いでいた古代ローマ市民と同じような存在なんじゃないのか。」という、自己否定のような疑念に囚われることが、時折ある。

 「自分が見ているのはルール整備と安全管理がなされたスポーツであって、殺し合いを見ているわけじゃない」という理屈で自分を納得させるが、ボクシングのリング禍は残念ながらゼロにはならない。「格闘技」と「殺し合い」を隔てる壁は、自分が信じているよりも薄く、脆いものなのかもしれない。
 長年のダメージが蓄積してボロボロの状態であろう辰吉がこれ以上リングに立ち続けることは、そんな薄く脆い壁を破壊することに他ならないと思うのだ。

 辰吉の中では、「まだ燃え尽きていない何か」があるのだと思う。そんな辰吉の姿に勇気づけられるファン、辰吉が引退したら悲しむファンが大勢いることも、また事実だと思う。

 だけど、その末に「最悪の事態」が待っていたらどうするのか。家族も、周囲の人間も、ファンも、大勢の人間が悲しむ。その危険性を無視して辰吉がリングに上がろうとすることは(そして周囲がそれを容認することは)、やっぱり単なる我が儘であり無責任だ、としか思えない。

 辰吉の進退を決断できるのは辰吉本人だけなのか、周囲の人間なのか、ファンの声なのか、残念ながら自分には分からない。いずれにしても、グローブを置くという悲しくとも勇気ある決断をすべき時に来ているのではないか。

 戦うことに拘り続ける辰吉を「かっこいい」と賞賛することは容易い。だけど、その挙げ句に辰吉を殉教者にしてしまうことだけは、絶対に避けなくてはいけない。

 息子さんも大きくなってたねえ・・・。人気ブログランキングへ
Commented by なの。 at 2009-03-19 22:01 x
まあ、古代の場合は個人の意思が無視されてますからね。生命や健康への配慮も皆無ですし。
現代は自由意志の下、選択の自由が認められた上で、「名目上は」充分医療設備を整えての試合ですから。全てが根本的に違いますよ。

辰吉に関しては、国によって基準に差がある事に問題があるのだと思います。
Commented by ごんた at 2009-03-20 09:11 x
ビュンビュン動ける38歳ならともかく(ダンヘンとか)、あの動きならやはりドクターストップが妥当だと思います。
脳にダメージが蓄積しているのか、ろれつが回っていないようにも感じました。

気丈に振舞っていた奥さんも、死んだりしなかったというだけで安心の涙を流していましたが、結局は本人や家族の問題なのかなと思いますね。
出国してまでやりたいなら死ぬまでやればいいとも思います。
私はあしたのジョーなんかも大好きだし、死ぬまでやるというのひとつの美学かなとも思いますし。
でも、何か事故があった時、ボクシング界・格闘技界に与えるダメージは計り知れないですし、それを考えればタイのボクシング協会にも慎重な判断を願いたいものです。

記事題を見て思ったんですが、ボロボロ具合がサクと似てるなあと。
Commented by tarou at 2009-03-20 23:12 x
今回も考えさせられる記事です。長文失礼します。

個人的に辰吉の全盛期は、目を負傷する21歳までのホンの数年間だったと思います。あの時の辰吉の放った輝きは眩いばかりでした。世界戦の戦績は大きく負け越しており決してスーパー王者だったとは言えませんが(ウィラポンの全盛期と重なったという時代の運もありますが)伝説のボクサーといっても過言ではないでしょう。本当に格好良かった。

彼の試合を見ましたが、ウィラポンに粉砕されたアゴは弱いまま。ガードが低く、ディフェンス意識の低いスタイルは変わっていませんでした。彼が長谷川という稀代のスーパー王者を始めとして、屈指の強打者ぞろいのバンタム級の世界戦線に返り咲くことはあり得ません。多分本人も周りも気づいているでしょう。

しかしそれでも彼は納得しません。そのようなパーソナリティの持主だからこそ彼は輝くことができたのだとも言えます。だから彼がまだ現役にこだわるのも私には当然に感じられます。救いといえばるみ夫人が「私なら止められる」と言ってくれたことでしょうか。彼に魅せられた一ファンとして、彼女にはぜひ彼を止めてほしいと思っています。不幸な事故は見たくありません。
Commented by nugueira at 2009-03-21 16:01
>なの。様、ごんた様
 個人の意志を尊重、というのも一つの考え方だろうとも思います。それでもやっぱり、「死ぬまで頑張る」ことを認めてしまうのが本人のためにも格闘技のためにもいいこととは思えません。本人にも周囲にも、慎重な判断をしてほしいです。

>tarou様
 こういう性格だからこそ、これだけ熱心なファンがついているんでしょうね。私も、るみ夫人の発言には救われる思いがしました。
 
by nugueira | 2009-03-19 19:32 | ボクシング | Comments(4)