反り立つ壁に撃沈。


by nugueira
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たまには書評

 『2011年の棚橋弘至と中邑真輔』を読了。

 柳澤健のノンフィクションといえば『1984年のUWF』の「そこまで調べるか!?」という緻密すぎる調査に基づく論考が印象的なのだが(UWF旗揚げ戦で前田の相手を務めた外国人レスラーの自伝を引っ張り出してきたときは度胆を抜かれた)、今回はアッと驚くような新事実はなく、棚橋による新日本復活のプロセスとしてこれまでも伝えられてきた情報を手際よくまとめたという感じ。ベラトールが中邑にオファーを出したことがある、というのは初耳だったが。

 格闘技ブームと猪木の介入で新日本がガタガタしだす2000年頃から話がスタートするのだが、この頃は自分も新日本プロレスを見ていたので「この時の猪木の介入はひどかったよね」と当時の記憶がフラッシュバックすること多数。そして新日本がどん底の状態まで落ち込んだ2006年に棚橋が初のIWGP戴冠…となるのだが、ここからリアルタイムでの記憶がさっぱりない。この前年のレスナー・蝶野・藤田の3WAYはスカパーで見ていたのだが、自分が全く見向きもしなくなった2006年以降は本当に暗黒時代だったんだなあ、と今さら実感。自分と同じようにこの時期に新日本から離れた人って、今はまた会場に足を運んだりしているのだろうか。

 チャンピオンとなった棚橋にファンの支持が集まらず、それでもストロングスタイルと訣別した棚橋は新しいファン層を徐々に開拓していく…というのはこれまでも色々な場で語られてきたとおり。それにしてもこの時期の観客動員については「両国大会で観客の実数が2000人程度」「東京ドーム大会の観客の実数が1万人割れ」など生々しい記述が多く、よくこの状態から今年のドームの客入りまで復活したな…と改めて驚かされる。

 自分が新日本に再び目が向くようになったのが2012年のドームで棚橋がV11を達成した辺りで、2015年からはドーム生観戦が恒例行事となり今に至るわけだが、自分が新日本観戦から離れていた時期の流れをまとめてくれているという意味でも非常にありがたい本。2006年の棚橋初戴冠以降の主要カードをチェックしてみるか、という気にさせられた。と思って新日本プロレスワールドをチェックしてみたら2000年代のIWGPタイトルマッチでも見れない試合が結構あるのね。この辺のアーカイブ機能はもう少し強化してもいい気がするんだが。

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by nugueira | 2018-01-13 21:35 | プロレス | Comments(0)