長谷川穂積、最後の世界挑戦
2016年 08月 11日
ウーゴ・ルイスvs長谷川穂積によるWBC世界スーパーバンタム級タイトルマッチが決定したと聞いたときの気持ちを何かに例えるとしたら、このような感じになるのだろうか。
2014年のキコ・マルチネス戦で長谷川はTKO負けを喫し、3階級制覇の夢は潰えた。試合内容と年齢を考えれば、長谷川がこれを最後にリングを降りるというのは蓋然性の高い選択だったはずで、現に自分もテレビ画面の前で涙を流しながら「もう十分やりきった」という受け止めをしていた。敗北に終わったとはいえ、長谷川という稀代の名王者のラストマッチに相応しい試合だった、というのがあの時に多くのファンが抱いた感想だったのではないか。
だが長谷川は1年以上のインターバルを経て現役続行という道を選び、昨年は2試合を戦っていずれも判定勝利。「ラストチャレンジ」と位置付ける今回のルイス戦までたどり着いた。
マルチネス戦以降の長谷川の試合映像を追いかけていないので、現状がどのような仕上がりになっているのかは何ともコメントできない。だが長谷川がモンティエル戦以降の3度にわたるKO負けによりダメージを蓄積させているのは言わずもがなで、今回の世界戦については勝敗以前のレベルで危機感を覚えてしまう。
先ほど名前を出したモンティエル自身も、ドネア戦のKO負けを境に極端に打たれ弱くなりながらも現役を続行してしまっており、今年4月の試合では1ラウンドKO負けを喫している。ボロボロになりながらもリングに上がることを決断し続けるボクサーの心情については当事者にしか分からない世界があるのだろうが、かつての強豪がいとも簡単にリングに崩れ落ちる姿を見るたびに、誰か止めることのできる人間はいなかったのか、と思えてならない。引き際を間違えたシリーズ映画は興業的に失敗して監督が名声を落とすだけだが、ボクシングでは潮時を見誤ることが命の危機に直結しかねないのだ。
9月に行われるルイス戦という「あり得ない続編」を、どういうテーマで、どういう気持ちで見ればいいのか。試合の発表から1ヶ月以上が経ったが、自分の中でまだ答が見いだせていない。
あしたのジョーがバイブルと言いますか。
最後のジョーや力石やリベラやウルフ、金等々、強いとか凄いとか言うだけでない何かがあった。
ゴロフキンのように圧倒的に勝ち続けるとか、かつての長谷川でも鮮やかな連続防衛もそうですが、それはそれでもの凄く凄い事なんですが、それはストイックな価値観とは違う。
何かボロボロにならなければ満たされない価値観があるように思いますね。
試合をやる以上、試合に挑む気持ちはもちろん試合に勝つのが目的ですが、現役に挑み続ける意味というのは勝つ事よりもボロボロになって燃え尽きたいというのが目的になっているような気がしますね。
この価値観を認めて、試合内容云々より生き様を見届けるという風にしていまっていいものかは葛藤がありますね。
映画ならいくらズタボロになってくれても素直に感動出来るんですが。
映画はエンドロールが流れればお終いですが、ボクサーはリングを降りた後も人生が続きますからね。なんとか慎重な判断をしてほしいです。