反り立つ壁に撃沈。


by nugueira

修斗観戦記② 幾度目かの敗北。されどカリスマは死なず。

第7試合 佐藤ルミナ×-○ギルバート・メレンデス(1R TKO)
 1ヶ月ほど前にサステイン代表の坂本氏が雑誌のインタビューで「文体ではマッハがメイン、ハンセンがセミ」と言っているのを見たときは「ルミナにその仕打ちをするのか?」と暗鬱な気持ちになったが、蓋を開けてみればメインに据えられたのはルミナの試合。そして実際、この日の選手紹介や入場時に誰よりも大きな声援を集めたのはルミナだった。

 「修斗のカリスマ」と呼ばれながらタイトルマッチに関しては3度のチャンスをものにできず、ライト級転向初戦ではペケーニョに惨敗。ファンはいつしか、ルミナを「悲運のカリスマ」として捉えるようになっていた。そしてそこには、「ルミナは既に終わった選手」という暗黙の認識が込められていたように思う。

 だが、そんな空気をルミナはリング上で、自らの試合内容で振り払っていく。環太平洋王者決定トーナメントでは打撃によるKOという新たなスタイルを披露し、今年3月には選手生活10年目で初となるベルトを獲得。私もこの試合を会場観戦していたが、ルミナが勝利した瞬間の場内には、近年の修斗ではなかなか見られなかったであろう心地よい熱狂が渦巻いていた。

 修斗の歴史は、そのまま選手離脱の歴史と言ってもいい。今年に入ってからは現役王者の他団体参戦も相次ぎ、「流されない、交わらない」というかつての修斗が持っていた矜持は完全に崩れ去っている(それが長期的にプラスかどうかは、今すぐは判断できないが。)。こういった状況の中、ルミナは自分が信じ、愛し続ける修斗のリングでタイトルを目指し戦い続けている。そんなルミナの態度は依怙地で時代遅れにも見える一方で、「価値観を変えないということはどんなに格好いいことなのか」というメッセージを提示しているようにも思える。あれだけの敗戦を繰り返してもなお、いや、あれだけの敗戦を経てここまで来たからこそ、今のルミナは「カリスマ」という表現すら陳腐に思えるほどの存在感を発している。
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 この日の対戦相手はライト級世界ランク1位につけているメレンデス。勝った方がペケーニョの持つ王座挑戦に王手をかける大一番となった。
 試合開始後、距離の取り合いから組み付いてロープに詰めたのはメレンデス。一度は離れたルミナがパンチをヒットさせるが、再び組み付いたメレンデスがヒザ蹴りを連打。レフェリーが試合を中断する。

 「こんな終わり方はしないでくれ」という観客の願いも通じず、無常のドクターストップ。ルミナを、そしてルミナの復活を信じるファンを待っていたのは、またも残酷な現実だった。
 これでライト級タイトルの時期挑戦者はメレンデスにほぼ決定した。ルミナが挑戦権を得るには、環太平洋タイトルの防衛戦や上位ランカーとの試合に勝って次のチャンスを伺うしかない。選手としての残された時間を考えると絶望的な状況にも思える。だが一方で、ここまでのルミナの歩んできた歴史を思えば、この状況すらも乗り越えてしまうように思えてならない。

 「カリスマ」は死なない。いや、仮に「カリスマ」と呼ばれるものが死ぬことがあっても、「佐藤ルミナ」という存在はどこまでもしぶとく生き残り続ける。この修斗という世界で。

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by nugueira | 2005-08-22 23:56 | その他(総合・寝技系) | Comments(0)