反り立つ壁に撃沈。


by nugueira
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禁断の「3度目」。菊田早苗が選んだ「死に場所」。

 10月2日のパンクラス横浜文体大会で、近藤有己VS菊田早苗のライトヘビー級キング・オブ・パンクラス・タイトルマッチが決定

 正直、この対戦カードを聞いても「なぜ?」という戸惑いを感じる人しかいないのではないかと思う。

 近藤と菊田は2003年5月のタイトルマッチで初対戦し、接戦の末に菊田がドローでタイトルを防衛。続く同年11月のリマッチでは近藤が菊田にグラウンドに持ち込む隙を与えないまま2ラウンドKO勝利。文句のつけようのない完全決着をつけた。
 菊田がここから巻き返した末のタイトルマッチならまだ納得がいくが、これ以降の菊田は2004年4月のキース・ロッケル戦が判定勝利、11月にはプロレスラーのアイスマン相手にようやく一本勝ちと、パッとした戦績を残せていない。ランキングは1位をキープしているが、これは「維持している」というより「落ちる機会がなかった」という方が適切だろう。
 本来なら郷野やデビッド・テレルといった他の上位ランカーの中から次期挑戦者が浮上してくるのが自然なのだが、昨年のNH大会で予定されていた郷野VSテレルがテレルの負傷により中止。この後に郷野が一時全日本キックへ進出したため、「次期挑戦者決定戦」がなかなか組まれなかったのも今回のカードが実現した一因と言える。

 記者会見では菊田側からの強い要望でこのカードが組まれたことが公表された。見当違いとの謗りをおそれずに書くと、これは菊田が選んだ自らの「死に場所」と考えるべきだろう。

 菊田の戦歴を見ると「タイミングが悪い」という表現に尽きる場面が数多くある。
 2001年に日本人初のアブダビコンバット制覇、同年にキング・オブ・パンクラシストのタイトル獲得という流れまではよかったのだが、ここからさらに上のステップへ行くタイミングを完全に逃してしまった。
 2002年にはPRIDE・パンクラス交流の先鋒としてPRIDE20に出場するものの、アレキサンダー大塚に消化不良の判定勝利。さらにこの試合のジャッジ問題が原因で、一時期PRIDEとパンクラスが国交断絶状態になるという後味の悪さだけを残す結果となった。
 同年8月のUFO LEGENDでは「寝技対決」との煽り文句のもとにアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと対戦。無謀としか思えないこのマッチメイクは、予想どおりノゲイラのKO勝利という結果に終わっている。

 「寝技世界一」という称号をもち団体のベルトも保持していながら、その先のメジャーリングで目立った実績を残すことができないという停滞状態を続けたまま、前述のとおり2003年には王座陥落。菊田からタイトルを奪った近藤が、この年の大晦日に開催された男祭りを足がかりにPRIDEマットへの進出を果たしたのはあまりに対照的である。

 このまま「悲運の寝技王」として終わる気配も感じられた菊田だが、昨年末ごろから言動に変化が見られるようになる。

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by nugueira | 2005-08-06 02:00 | その他(総合・寝技系) | Comments(0)